2015年04月28日

私の生きがい

 この職場で一番の年長者ですが、自分の子供や孫のような若い人に「母ちゃん」と呼ばれ楽しく仕事をしています。
 ご利用者の方と接していて教えられる事も沢山あり、私も頑張らねばとあらためて思います。元気に働けるということが私の生きがいですが「活きがいい」と言われるように、頑張っています。
 好きな言葉は、「夢」です、夢は叶う、いつでも夢を。
 
 SMCケアステーションさなだ
  片倉
posted by smc at 12:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

公園まで桜を見に行ってきました


 3/31の日に、ご利用者様とそのご家族と共に、ご自宅の近くの公園に桜を見に行ってきました。
 この利用者様は、動くと気持ち悪さが出現するため、なかなかベットから起き上がれずにおりましたが、半年〜1年かけて徐々に車椅子の乗車時間が増えてきました。
 今回ご本人やご家族と桜を見にゆくという目標をたて3/31見事に目標を実現できました。
 みんなの満足した顔をみているとご利用者様のケアの実現に少しでも役立てたと思いました。
 こういったことが実現できる訪問看護の仕事に感動した一場面でした。

  SMC訪問看護ステーションさなだ 鈴木
posted by smc at 12:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月01日

最近ポーセラーツにはまっています

SMCケアステーションさなだの清水です。
休みの日は、最近ポーセラーツにはまっています八分音符
ポーセラーツとは白磁器に絵を描いたり、転写紙を貼り付けたりして電気窯で焼き付けて出来上がりです。電気窯で焼き付ける事により、柄などは取れなくなります!
自分だけのオリジナルの食器が作れるのです光るハート
家族の為に素敵な食器をたくさん作りたいと思います!
写真は自分の作品です
IMG_5957.JPG

posted by smc at 12:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

お花見(^.^)

我が家の前には相模川
その土手に樹齢60年以上の桜が今年も見事に咲きました。
桜のトンネルも見事です。
桜の花は、優しさと春を届けてくれます。
桜の花びらが散るころは桜のじゅうたんが一面に雪景色のように広がります。
新緑がまぶしくなる頃、季節は春から初夏へと移っていきます。
P1020299.JPG
夏にはあゆまつり・・花火大会
今年は、厚木市制60周年。花火大会がきっとゴージャスでしょう!
四季折々自然がいっぱいの厚木はGood (*^。^*)
                  
                    ケアステーションさなだ
                     渡辺多恵子
posted by smc at 13:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月18日

ご利用者様が作られた作品です

湘南メディケアガーデンのご利用者様が作られた作品です。
カゴはエコクラフトという素材を使っています。エコクラフトは紙で出来た紐の束を編んで作り上げています。一輪挿しは、ヤクルトの空き容器に爪楊枝を貼り付け飾りつけしています。その他、洗濯ばさみにちりめんを貼ったり、藤の貼り絵やフェルトで作ったホトトギスなどさまざまな創作を行っております。
 創作活動は楽しみとしての作業でもありますが、座って創作することで座位の持久力をつけたり、手を動かすことで指や腕のリハビリにもなります。
 実際ハサミが使えなかった方がハサミを使えるようになったり、前のめりになって創作を楽しみ背もたれを使わない座位を保持している方もおります。
 もっともっと楽しんで頂けるよう、出来る創作を増やしていきたいと思います。

                         作業療法士 宮本 崇
deisakuhin.jpg

posted by smc at 00:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

公園ができます

 当センター前の道路向かいに公園ができます。
DSCN1083.JPG
 まだ公園利用はできませんが、竹の数が少なくなり整地され滑り台が設置されました。ご利用者が、この公園でご車椅子でくつろげるようになればいいなと思っています。
 


posted by smc at 00:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月03日

桃の節句、ひな祭りを祝う

hinamatsuri.jpg
ひな祭りの食膳を用意し、ひな祭りイベントを開催しました。
hinadan.jpg
posted by smc at 14:00| Comment(0) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月01日

うれしいお知らせです。

平成26年11月1日(土)
湘南メディケアセンターからご夫婦が誕生しました。
SMCケアステーションさなだ 阿久根 隼人君と
湘南メディケアガーデン 谷口 菜都美さんが
結婚しました〜!(^O^)/
akune.jpg

おめでとうございます。
さらに、ビックリだったのは、ウエディングケーキです。
見てください・・・どこかで見たような・・・
cake.jpg
なんと。メディケアグループのシンボルマークのケーキでした。
自社愛が溢れていますねこれからもお二人でお幸せに揺れるハート
posted by smc at 14:00| Comment(2) | スタッフ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

お神輿 わっしょい!

晴れ
子供会の皆さんが、お神輿担いできてくれました。
omikoshi.jpg
posted by smc at 14:40| イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月07日

インフルエンザワクチン開始しています

10月からインフルエンザワクチンの接種を開始しています。

13歳以上は3000円(1回)、12歳以下は2500円(2回)となっています。

65歳以上で、秦野市、平塚市、伊勢原市在住の方であれば1500円で打つことができます。
ただし平塚市は10月15日以降になりますので、注意ください。

ご希望の方は、クリニック受付までお電話をいただきますよう、お願いします。

posted by smc at 13:07| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

看護師リカちゃん

慶応の看護学校出身の元看護師の在宅患者さん宅にあった、特注らしきリカちゃん人形。
以前、同窓会で買ったとのこと。こんなのあるんですね!!
温度板などの小物がまたリアリティあるなぁ。。。

rika.jpg
posted by smc at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

クリニックの前の竹林を仰いで。
秋がはじまりますね

秋.jpg
posted by smc at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月01日

寝たきりで食べられなくなったら?

先日の講演の準備をしていて、このような興味深いデータがありました。

老年医療に携わる医師を対象とした意識調査です。


問1)アルツハイマー型認知症の終末期で寝たきりとなり、自然に食べられなくあった85歳のAさんに対して、第一にどのような治療の選択を行いますか?

51% (栄養が不十分ながら)手足からの点滴を続けて 自然の経過に任せる
21% 胃ろう(お腹から胃に栄養の穴を開ける)を作って積極的に栄養を入れる 
13% 経鼻経管(鼻から胃に入れる管)を使って積極的に栄養を入れる 
10% すべて差し控えて、自然の経過をみる


問2)では、もし医師である「自分が」Aさんだったら何を望みますか?

31% 手足からの点滴を続けて 自然の経過に任せる
27% すべて差し控えて、自然の経過をみる
19% 死んでもよいから口から食べさせることを続ける 
13% 胃ろうを作って積極的に栄養を入れる

もし自分がAさんだったら、自然の経過をみてほしい、死んでもよいから口から食べさせてほしい、と望む医師が、実に半分近くもいるのです。
特に「死んでもよいから口から食べさせてほしい」というのは、病院で患者さんと家族が強く望んでも、絶対に医師がとる方針ではありません。
絶対に患者には行わない・行えないけれど、自分には行ってほしいと希望する医師が2割もいる。


いままでの医療は「病気を治す・命を延ばす」ことを至上命題にしてきました。
それは、病気を治して命を延ばすことを行った先に、患者さんの「幸せ」がある、というのが大前提になっていたからでした。

しかし、医療が発達して、かなり治せる病気が多くなり、昔から比べると何十年も長く生きられるようになった現在、「病気を治す・命を延ばす」ことが、必ずしも「幸せ」と結びつかなくなっており、その前提が崩れてきているのではないかと思います。

医師・医療は、本来「健康的な幸せ」を提供するための単なる手段であった「病気を治す・命を延ばす」ことに囚われるあまり、手段が目的となってしまい、たとえ幸せではなくても、病気を治す・命を延ばす、ことを優先するようになってしまっているのではないでしょうか。

このデータは、医師が患者の当事者の立場として「自分の健康の幸せは何か」と考えた場合、命を延ばすことではなく、人間として最後まで尊厳をもって死んでいきたいと考えることを示す、とても良いデータなのではないかと思います。
posted by smc at 00:00| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

ケアマネージャーの役割

 地域のケアマネージャーさんの勉強会に呼ばれて、介護と医療の連携をテーマに、在宅医療のこと・連携の実際・私が考えるケアマネージャーのありかたなど、について話してきました。

なるべく具体的な連携の方法を「明日から使える」感じで話した上で、これからの高齢化社会では「生活の医療」=「想いの医療」のニーズは高まるばかりで、その要が連携であり、連携・想いの医療、の最前線に立つのがケアマネージャーなんだと、思いっきり鼓舞してきました。本気でそう思ってるので、ずいぶん熱もこもったし、その後の質疑応答も白熱しました。

130828.jpg
posted by smc at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月04日

治療薬としての医師

長らく通院する患者さんから「先生と話すと、なんだか元気になってくるんです」とか、「おばあちゃん、毎月、いつも先生に会えるのを楽しみにしてるんですよ」と嬉しいことを言われることがあります。
こういう嬉しい言葉を聞くと、マイケル・バリントの言う”The doctor as medicine(治療薬としての医師)”を少し体感できるなぁ、と思います。
医師は薬を処方するだけではない。医師と患者さんとの関係性そのものが「薬」なのです。

彼が口癖のように言っていた、診療態度
「全身の皮膚の孔を通して聴け」
「第二陣の耳を持っているような具合に聞くことだ」
・・・ぐっときます。

バリントの言葉についてはこちらがよくまとまっていました。
posted by smc at 00:00| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

お習字

うちのデイサービスの利用者さんの作品です。
次のお題は「麦酒」と書いてもらいたいと思います。

syuuji.jpg

posted by smc at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

子宮頚癌ワクチンの接種についてお悩みの方へ

子宮頚癌ワクチンの接種についてお悩みの方へ
2013年6月15日
湘南真田クリニック 院長 
小宮山学

●子宮頸癌ワクチンを接種した後に手足に強い痛みが長期間残ったり動かしにくくなったりした、などの重い症状が報告されています。これが本当にワクチンのせいなのか、別の原因なのか、未だに分かっていません。

●よく分からないので慎重に検討するため、「積極的に打ちましょう、と国が公式に呼びかけることをしばらく控える」という決定が出ました。「接種の中止」ではないので、打ちたい人には従来どおり、無料の接種ができます。

●報告数は、300万回以上の接種に対して30数例。10万分の1の確率です。

●この30数例は「ワクチンと絶対関係がある」というものだけではなく、「ワクチンが原因か分からないけれど、絶対違うと言い切れないから、対象に入れておこう」と選んだものも多く、最終的に関係がない可能性もあります


【初回接種に来られた方 ・ まだ受けておらず迷っている方】

●このワクチンが予防するウイルスは、性交渉でうつるウイルスです。普通の日常生活ではうつりません。思春期に打つ目的は、最初の性交渉の前に免疫を付けることであり、性交渉がなければ慌てて打つ必要はありません。

●国の方針に不安を感じられる場合、いま性交渉がなければ、急いで打つ必要はありません。安全性の確認を待ってからでも、遅くはありません。

●「因果関係が未だ不明な10万分の1のわずかな危険性」よりも、「最初の性交渉を経験する前に、早めに免疫を付ける」ことを優先する場合、接種を推奨します。


【既に1回目ないし2回目の接種を、お済みの方】

●既に1回目ないし2回目を接種している場合、2回目以降ないし3回目を先延ばしにすると、  「0→1または2カ月→6ヶ月」という接種スケジュールから外れます。

●今、先延ばしにし、その後に打つとすると、予定のスケジュールから外れることとなります。   その場合、きちんと免疫が付く保証は今のところなく、免疫が期待通りに付かない可能性もあります。残念ながら確かめられていないので分かりません。

●免疫をきちんと付けることを優先する場合は予定どおりに打ってください。

●一方で、因果関係が不明な10万分の1の危険性を避けたい、ということであれば先延ばしもやむを得ません。その場合は免疫がきちんと付くかどうか分からないということをご承知下さい

●市によっては、追加の免疫をあまりに先延ばしにした場合、無料の対象から外れる場合もあるのでご留意下さい。

【みなさまへ】
●大事なことはこのウイルスが性交渉によってうつるものだという理解です。最初の性交渉が先になれば、このウイルスに感染する心配も先になります。

●このワクチンをきっかけに、ご家庭内できちんと性交渉について話し合いや、教育の機会を持たれることをお勧め致します。コンドームのない安易な性交渉によって、望まれない妊娠や、重い性病がうつる危険性があることを、確認することが大切です。

●また、実はこのワクチンは、子宮頸癌を確実に予防するという効果は、未だに証明されていません。その前段階の効果しか証明されていません。「きっと将来子宮頸癌を減らしてくれるだろう」という期待の段階です。効果が証明されたとしても、100%、子宮頚癌を予防するということはありません。

●すなわち、子宮頸癌の予防という点でも、このワクチンを打つことが最も重要なのではなく、適正年齢に達したら、きちんと子宮頸癌検診を受け続けて、癌の早期発見をする、ということの方がずっと大事なことです。

●子宮頚癌は他の癌と違って、20〜40歳代と若い女性にも多くみられます。そのため、思春期のお子さんだけでなく、お母さまを含めた20歳以上の女性みなさまに、定期的な子宮頚癌検診を受けることを、強くお勧めいたします。

※この文章は、守屋章成先生の意見を基に、当診療所の方針・責任下で記載してあります。
http://goo.gl/4EBRo
posted by smc at 16:40| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月14日

予防接種について考えたこと

 最近、診察のときに予防接種を打っていないお子さんの親御さんとお話しをしていて「打ちたくない」と断られたことが、続けてありました。理由を聞くと、やはり予防接種の危険性について危惧がある、ということがいちばん大きな理由のようです。
 
 予防接種の危険性については、個々の話になりますとかなり細かい議論がいろいろとあります。このことについて、自分のフェースブックで相談したところ、大学のときの先輩の医師が、既にとても詳しいまとめをして下さっていたので、細かい議論についてはそのまとめを紹介するにとどめ、ここでは予防医療の全般について考えてみたいと思います。
 HPVワクチンのお話 HPVワクチンのお話2

 予防接種などの予防医療に限らず、クスリや手術など通常の治療もそうですが「それが医学的に適切なことか」という判断は、介入することで得られる利益(ベネフィット、といいます)と、介入することで危険に遭う可能性(リスク、といいます)とを天秤にかけて、ベネフィットがリスクを上回る、と見込まれる場合に「医学的に適切な介入」であると言えます。ここで注意したいのは、予防や治療の介入に伴う、副作用/副反応/合併症などのリスクが「ない介入はない」ということが前提になっている、ということです。つまり、予防だろうが治療だろうが、ある確率で、ある患者さんに対して、ある危険が起きてしまうこと、は避けられないのです。リスクはあるけれども、ベネフィットがより高いからこそ「適切な医療行為」とみなされています。

 さらに予防接種などの予防の介入を理解するために、難しいことがあります。クスリや手術などの通常の治療は、介入することで「治療をうけて病気が治りました!」と実感することができますが、予防の介入は「予防注射を打ったおかげで、病気にならずにすみました!」と実感することができない、ということです。というのも、予防医学のベネフィット/利益は、クスリや手術と違って『予防注射を打たない、ことで遭ってしまうであろう病気のリスクを、打つことで減らす』ということだからです。
 
 予防の介入では、みなさんにとても身近なインフルエンザワクチンで例を示しましょう。ある小学校に40人の学級がA組、B組と2つある学年があったとします。A組は全員がインフルエンザワクチンをうけなかったので、その冬は10人のインフルエンザが発症しました(30人は大丈夫でした)。一方B組は、全員がインフルエンザワクチンを受けたので、その冬は4人しかインフルエンザが発症しませんでした(36人は大丈夫でした)。B組は全員がワクチンを打ったことで「そのままならインフルエンザにかかってしまったはずの、6人のリスクを回避した」ことになります。

 クラス単位でみてみればワクチンの効果は明らかなのですが、B組のそれれの児童個人からみれば、たとえインフルエンザにかからなかったとしても、自分が「打たなくてもインフルエンザにかからなかった=打つ必要のなかった 30人」の側なのか、「打ったおかげでインフルエンザにならずにすんだ 6人」の側なのか、わかりませんよね。一方で「ワクチンを打ったのにインフルエンザにかかってしまった(B組の4人の側に入ってしまった)」ことは実感できますし、さらに「インフルエンザワクチンをうったせいで、腕が腫れて、熱も出てしまった」というような、副反応が出たことも、明らかに実感できてしまいます。

 こういった予防医学の介入を受けたのに「恩恵を受けられなかった」「むしろ害になった」という経験から、「予防接種は効果がない」「効果がないどころか害になる」と声を上げたくなる気持ちも十分わかりますし、予防接種による後遺症や死に至るような副反応を経験した、本人・家族にとっては「予防接種は害になるので止めろ!」と声を荒げたくなったり、予防接種の反対活動をしたくなるなるのも、もっともだと思います。そうした予防接種反対の発言を見たり聞いたりすれば「予防接種は怖いものだ」と思ってしまうかもしれません。

 ですが上で示したように、その予防接種に効果があるかどうかの評価は「クラス単位」といった「統計」でみるしかないのです。既に予防接種として世界的に実績があり、認められているものはすべて、統計的に効果が明らかなものしかありません。予防接種をうけて「効果がない」「むしろ害になった」と言う人の数よりも、実感はできないけれども「打ったおかげで助かりました!」という人の数が圧倒的に多い、ということです。つまり、「効果がなかった」「被害をうけた」ということを述べるだけでは、「その予防接種はダメだ」という判断材料にはならない、ということになります。予防接種には「利益も害もある」ことを前提に、全体のバランスを考えて、善し悪しの評価をします。・・・なんだか、理屈では分かっても、モヤモヤしてきますね。医者に言いくるめられているのではないか、と勘繰ってしまいそうです 笑。

 ドラえもんの「もしもボックス」で「もしも世界に予防接種がなかったら」とお願いしたとしましょう。電話のベルが鳴ったあと、世界中で致死的な病気が増えてしまい、病気による後遺症や、亡くなる人が圧倒的に多くなることでしょう。その現状の中で、ワクチンを受けて「効果がなかった」「むしろ害を受けた」という人の声は、「ワクチンのある世界」以上に、かき消されてしまうのではないかと思います。近くは、2009年に新型インフルエンザが流行したときの騒動が、それに近い状況かもしれません。「ワクチンがない、致死的な感染症が流行する」という状況下で、一刻も早くワクチンを製造しくれ、打ってくれ、という声が圧倒的多数になりました。あの騒動の中で「新型インフルエンザのワクチンには効果がないかもしれない」「ワクチンで被害を受けるかもしれない」という声もあったかもしれませんが、ワクチンを求める圧倒的多数の声に消され、そうした声を聞くことはまずできません。

上で紹介した先輩のブログからの引用ですが、
2003年のナイジェリアで、生ポリオワクチンが不妊やエイズの原因になると言われてボイコット運動が起きました。
What Led to the Nigerian Boycott of the Polio Vaccination Campaign?
その後ナイジェリアでポリオが大流行しました。多くの国々で、ポリオ発生数が減少しゼロになりつつ今も、ナイジェリアはまだ流行国です。
ナイジェリア北部でポリオ患者が急増、5年前の流言が影響


 さて、ここまで読んでおわかりと思いますが、予防的な介入は、基本的に「集団」を対象にしているものなのです。ここが、予防医療・予防接種に疑問を持つ「個人」の患者さんには非常に理解してもらいづらいところです。予防医療は、基本的に「集団全体に対して多大な恩恵をもたらすが、集団を構成する個人個人への恩恵となると少ない」というものだからです。先ほどのインフルエンザワクチンの例でも「打って恩恵を受ける6人」の側より、「打たなくてもインフルエンザにかからない30人」の側に入る可能性が高いのです。でもクラス単位、という集団でみれば「6人も」インフルエンザを減らす効果があるのです。 

 交通規則で、車のシートベルトを罰則つきの義務化にしてから一気に、交通事故の死亡率が減った、という話はご存じですか? 多くの人にとって、例えシートベルトをしなくても事故に遭う確率や死亡する確率はかなり低く、実際にシートベルトが「役にたった」と感じられる機会は少ないでしょう。人によっては「面倒なだけだが、罰則があるので仕方なくつけている」という人もいるかもしれません。車のシートベルトはまさに予防の介入そのもので、「多くの個人にとって恩恵はない=事故にも遭わないし、面倒なだけ」ですが、「集団にとっては、事故の死亡率を大幅に減らすことができる」という、ものなのです。子供がシートベルトで遊ぶことによる窒息の事故なども報告されていますが、こうした報告があるから、すぐに「シートベルトは危険なのでやめろ」とはなりませんよね。また、シートベルトをしていたのに事故死してしまった遺族が「シートベルトなんて意味がない!」ということもありません。統計的に、シートベルトをつけることによって得られる利益(交通事故死亡率の低下など)よりも、シートベルト窒息事故などの危険性のほうが上回れば、シートベルトの義務化を見直す動きになるでしょう。

 言ってしまえば予防医療は「集団の大きな利益ために、わすかな個人は犠牲になって下さい。でも誰が"集団側"で誰が"わずかな個人側"かは、事前にはわかりません」ということです。「あなたやあなたの子供のため」にも(実感できない)利益となりますが、それ以上に「みんなの利益のため」に打つものなのです。昨今「インフォームドコンセント」がうたわれ、治療行為の決定には患者さんや家族の意思の関わりも重要となってきました。しかし、こと予防医療に関しては「集団全体」に介入するからこそ意味が出てくるものであり、語弊をおそれずに言うと「個人の意思」の関わりが強くなり打たない人が多くなると、予防医療の意義である「集団の利益」そのものが損なわれていく、という可能性があるのです。

 だからこそ「集団に大きな恩恵がある」とわかっても「個人として害を受けてしまった人」はしっかりと救済しないといけません。副反応による健康被害は稀だけれども、避けることはできず、副反応が出た人は「集団のために犠牲になった人」なのです。そのために「予防接種健康被害救済制度」という制度があり、集団(国民全体)のために犠牲者になってしまった個人の被害補償は、集団(国)全体で行いましょう、ということになっています。

 ここに書いた一連のことを、予防接種に疑問をもつ親御さんに理解してもらうのは、本当に難しい作業だと思います。シートベルトと同様、予防接種に対して全く疑問もなく「やるものだから」と思って打って下さる(大半の)親御さんはよいのですが、疑問をもっている方に、そのまま正直に「お子さんに恩恵があるかどうかはわかりません。いやむしろ恩恵はほとんどありませんが、低い確率で恩恵を受けることができます。しかしその実感もできません。また、わずかの確率ですが被害を受けることもあります。ただ集団のためには、ぜひ打って下さい。個人としてリスクを背負って下さい」とストレートに説明して、納得して下さる親御さんはなかなかいないでしょう 笑。

 難しいですが、こうしたことをなんとかわかるように伝えていきたいし、医療の側の考えの押しつけでなく、お互いに理解をわかちあいたいなぁ、と考えています。

posted by smc at 11:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

臨死における物語

以前の職場にいるときから3年越しで、継続してみていた在宅患者さんが、旅立たれた。在宅で、自分ひとりで3年もみた方は、はじめての経験だったので、とても想い入れの深い患者さんのひとりだった。

年末に病院に入院して退院は困難と思われていたが、ケアマネージャー、リハビリ、在宅&病棟看護師、訪問栄養士、と他職種で何度も相談を重ね、やっと退院できた。その翌日、自分の退院後の初回訪問にあわせて担当者会議(患者宅で関連職種がケアの相談を行う会議)を行い、ターミナルだがこれから在宅で頑張っていこう!、と在宅チームの「結成式」を行った矢先のことだった。

病院では全く食べられなかった食事だが、少量のみ夕食を美味しく食べることができ、しばらくして状態が急変したそうだ。まず自分に急変を知らせてくれたのは、うちの訪問看護師だった。患者さんはうちの訪看を使っていないのだが、以前その看護師さんが別の事業所に勤めていたとき、この患者さんを担当していた。退院を聞いて「患者さんに会いたい!」と言っていたため、看護師としてでなく、患者宅に物品を届ける「おつかい」をお願いしたのだが、たまたま病態が変わった直後に家に行って自分に連絡をくれた。

自分も医師会の夜勤中だったので、少し遅れて到着した。孫まで含め、親戚という親戚が大勢集まり、「おじいちゃん!がんばって!」「おじいちゃん!ありがとう 」となどの声かけを繰り返す中で、自分が到着した瞬間、まさに最期のひと呼吸をして、そのまま旅立たれていった。

自分としては、せっかく退院できて、今からというときだったので、
「ターミナルとはいえ、こんな早くだなんて・・・」
「やはり自宅に帰ってきたことが身体の負担になったのか・・・」
「退院時のマネージメントに落ち度があっただろうか・・・」
などと軽い自責の念にいたのだが、ひと呼吸おいたあとの家族の感想は

「きっと、自宅に帰ってきて、ほっとしたんだねぇ」
「先生が到着するの待っていたんだよ」
「状態が変わってどうなるかと思っていたときに、看護師さんが来てくれて本当に助かった」
「最後にご飯も食べられて、苦しまずに逝けてよかった」
・・・などと言ってもらえて、ホント救われた気がした。

******

自分は夜間で時間がとれるときの看取りは、できるだけ最期のケアも看護師さんや家族と一緒に行うようにしている。慣れてきた最近は、「お着替えは何にしましょうか?」「葬儀屋さんには連絡しました?」「最後の手の組み方はどうしましょうか?地域によって風習が違うので」「体拭くの御家族も一緒にやりましょう。ぜひお孫さんも!」「おばあちゃんに、最後にお化粧してあげましょうよ」など、看護師さんがエンゼルケアに集中できるよう、ケア周囲のマネージメントを行うようにしている。

一番好きなときは、自分も混じって、家族と一緒に患者さんの体を拭いている時間だ。家族の悲しみもちょっとひと段落して落ち着いており、このとき自分は必ず家族に聞くようにしていることがある。

「娘さん(お孫さん)にとって、お父さん(おじいちゃん)って、どんな方だったんですか?」

そうしたとき、たいてい家族は「はっ!」っとなったあと一瞬考え込み、「ひとこと」でその方をあらわす言葉が出ることが多い。

「とっても、、やさしい父でした」
「とっても真面目な人だったです」
「明るい人でねぇ。。。」

人それぞれ様々な感想が出るが、その感想に関する昔話のエピソードがそのあとに続く。たいていが、「泣き笑い」のなかで、なんとも幸せな時間がすぎる。みなで本人の体を拭きながら。

******

帰りの車を運転しながら、いろいろなことが頭を駆け巡った。

いくらターミナルとはいえ、メディカルには、こんな退院直後に亡くなるというのは一つの失敗、とも考えられる。もうちょっと、最期の時間を家族とともに自宅で過ごせるようなやりかたはなかっただろうか。。。

一方で「物語」としては、あまりに「出来すぎ」ている。
家族がいう「自宅にかえってきて、ほっとしたんだよ」という説明。医学的な説明でも何でもないのだが、なんだか、あまりに自分のなかで腑に落ち過ぎる説明なのだ。さらに、
「病院で一口もとれなかった食事をとれた直後に状態が変わったこと」
「入っている訪問看護でもないのに、たまたま以前からよく知る看護師が訪問する直前に急変し、家族を安心させた」
「以前からずっと診ていた主治医が、着いた直後に息を引き取った」
などなど・・・。
自分はユングにはさほど詳しくないが、これほどまでに「出来すぎた物語」が紡がれると、「共時性??」などと考えてしまう。。。

臨死の場において「生」を最終目的とする医療はあまりに無力だ。死の最後まで医療でマネージメントしようとする場合、死に対してどんな経過をたどろうとも、最期は、モニター心電図の波形がフラットになるのを待つ以外に手はない。またはそれすら選択できず、気管内挿管や心臓マッサージを行うこともあるかもしれない。

しかし、臨死の場面で「物語」の存在は絶大だ。病院の死は「物語」を殺してしまうため、それが見えづらいが、在宅死において臨死の場面の「物語」は生き生きとその姿をあらわす。(在宅死を、絶対視しているわけではない。あくまで患者の物語が生かされやすい環境、というだけ)

問題は、臨死の場面の「物語」に対して、生業(なりわい)として接することができるのは、医療者しかいないということだ。葬儀屋さんや宗教も、死に関わるには関わる。特に宗教は、本来的には「物語」をもっているものである(日本では形式宗教がほとんどだが)。・・・しかし、宗教が関わるのは、臨死の場面の「あと」のこと。そして唯一、生業として、臨死の場面に関わることのできる医療者の多くは、物語を語ったり、物語をマネージメントするトレーニングを受けていない・・・。

医学は基本的に科学的根拠を持って発展してきたが、同時に人間のもつ「物語性」から離れることは決してできない。家庭医のトレーニングでは、患者さんには科学性と物語性の両側面からアプローチするものだ、ということは教わっていた。しかし、今回気付いたことは、臨死の場面においては科学より物語のほうが圧倒的に必要になってくるし、重要性が高いということだ。

あまりに「出来すぎた」と感じたこと。どうしても科学で説明できないことが、臨床の現場にもある、おきる。それは、患者さんと家族、医療者など関わる人すべてが織りなす「物語」に真摯に目を向け、流れを大切にし見つめていると、自然とわき出てくるものだと思う。ただし「患者さんのことを考えよう」とか「医療倫理」とか、表面的な使命感を意識しているだけでは、生じてこない。もっと大きな枠で、ある種、動物的な部分で、考えるのではなく感じることによって、生じてくるものだと思う。


posted by smc at 19:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月08日

ありがとう、を届けるためには?

昨日、クリニックに来られた製薬会社の医療情報担当さんと話していて感じたこと。

製薬会社(や機器メーカー)はエンドユーザーである患者さんと、商品を選択する人(医師、医療者)が異なるということや、エンドユーザーの声が直接会社に届く機会が少ないということ、また商品を使ったあとの評価もエンドユーザーのみではできない(薬の効果の評価が、患者さんと医療者で異なることもある)などが、他の一般的な商品と大きく異なることだ。

医薬品や医療機器を作っている、ということから社会的使命は強い企業であるべきかもしれないが、エンドユーザーの声、単純に患者さんからの「ありがとう」、を聞くことが難しい立場、というのは、逆に仕事のやりがいをもつことが難しいし、使命感を維持するのも難しい。勢い、薬や機器の売り上げ、という数字が、唯一の仕事の達成感を測る指標となるため、患者さんでなく、商品を選択する医師・医療者、のほうばかり向きがちになってしまう。

これを、メーカー、医療者、エンドユーザーである患者、という関係のうえで、もっとメーカーとエンドユーザーを直接結びつける、うまい仕組み。エンドユーザーとメーカーが双方に感謝を言える、win-winの関係を築き、メーカー側が患者のことを真摯に考えれば考えるほど、ユーザーの感謝の声がメーカーに届き、同時にメーカーの売上も伸びる、という、上手な仕組みはないものだろうか?

自分ではその答えはもっていない。
もし誰か成功事例など知っていたら、教えてほしいです。
posted by smc at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする